清水幹太が「BASSDRUM」を立ち上げた理由―テクニカルディレクターの存在価値をスケールさせる、新たな挑戦

2018.11.29

電通と多彩なメンター陣によるスタートアップ支援プログラム「GRASSHOPPER」。キーワードに“クリエイティブとブランディング”を掲げ、現在、メンタリングを行う企業を募集・選定中だ。一方、当サイトでは思想面で我々と近いイノベーターへ取材し、記事を公開していく。

クリエイティブ・ラボ「PARTY」のNYオフィス立ち上げメンバーとして日本を飛び出し、さらに2018年秋にはテクニカルディレクターだけのグローバルコミュニティ「BASSDRUM」をスタートさせた清水幹太。彼もまた、固定観念と様々な制約を飛び越える、現代の“グラスホッパー”だ。現在アメリカを拠点にPARTY NYとBASSDRUMの代表を務める清水に、ものづくりの核となるテクニカルディレクターの新たな立ち位置を取材した。

最終的には「世界テクニカルディレクター協会」を作りたい

–清水さんが「BASSDRUM」をスタートさせた経緯を教えてください。

清水:2013年9月に東京からニューヨークにベースを移し、PARTY NYとしてゼロから営業してモノづくりを始めたのですが、運が良かったからか、2年目から犬用のLEDジャケット「Disco Dog」や、MTVの「白人特権」啓発キャンペーン「White Squad」が大ヒットしたのです。

このキャンペーンは広告賞などにはあまり出してないので、日本では知らない人が多いかもしれませんが、有色人種が部屋の契約などで差別を受けそうな場合に代理の白人を“レンタル”できる、というニセモノのサービスを立ち上げて、社会問題の存在を認知させる、というものです。CMを放映し、それと連動する受付コールセンターまで設置しました。これが全米のTwitterトレンド1位となり、メディアでも連日取り上げられることになりました。

立て続けにホームランを打ち、ニューヨークはもちろんグローバルのクリエイティブシーンに波風を立てることは、確かにできました。既存の広告代理店ビジネスモデルへのカウンターとしては良かったのですが、一方であくまでも川村(真司 PARTY NYクリエイティブディレクター)と私の個人芸に近いところもあり、誰にも真似できるものではなかった。

つまり、日本出身のクリエイティブチームとしては珍しいポジションを取れて「黒船が来た!」という印象は作れたものの、「彼らを見習って我々(広告代理店)も変わろう」というような文化までは作れなかったのです。

この先、PARTY NYを大会社にして既存の代理店の代わりになるつもりもないし、個人芸に紐付いたものを作っていても自転車操業なので先行きが不透明。さてどうしたものか?と考えた時に、自分のもっている能力である「テクニカルディレクター」の存在価値を会社の外にも広げていき、文化になるものを作っていこうと、たどり着いたのがBASSDRUMです。

テクニカルディレクターはインターネット時代のものづくりの根幹にある職業なのに、今までは自社のクリエイティブディレクターとだけ組むことが多かった。もっと多くの人と組めるカタチにしていけば、文化として広げていけると思ったのです。

そして、テクニカルディレクターという職能を持つ人のつながりを増やしていくのであれば、会社の枠を超えてスケールし、文化となる。残りの人生をスケールさせるためにBASSDRUMを作ったといっても過言ではありません。

–いままでなかった「テクニカルディレクター・コミュニティ」。ゼロイチで作り上げた先に目指すものはなんでしょうか?

清水:日本には優秀なテクニカルディレクターが多いので、そういう方々を巻き込んでグローバルな仕事を作っていきたいと思っています。

ただ、私がわがままなのでニューヨークで社長をやりながら、日本を任せられる方々に声がけさせてもらいました。いまコアメンバーは5名なのですが、東京を仕切っている2人のうち1人は以前私が制作会社で働いていた頃に一緒に仕事をしていた村上悠馬。彼は私よりはるかに優秀で精密なテクニカルディレクションをできる人なので真っ先に声をかけました。

もう一人は鍛治屋敷圭昭。もともと代理店でマーケティングをやった後にプログラマーに転身している、「コミュニケーションができる技術者」です。テクニカルディレクターは結局テクニカルコミュニケーターであり、クライアントとコミュニケーションが取れることが大事です。他にも dot by dot の Saqoosha ら日本を代表するテクニカルディレクターの方々が仲間になってくれています。

具体的には企業案件をこなすのはもちろん、我々テクニカルディレクター陣がいるビジネスチャットにクライアントを招待し、彼らが実現したいものに対して即座にアイデアを提供するサービスなども始めています。よろず相談からプロトタイプが生まれるようなスピード感のある動きができ始めています。

目指したいのは、医者とか弁護士などのように、人々の尊敬を集めてお金が潤沢に回る立ち位置にテクニカルディレクターをポジショニングすること。テクニカルディレクターはインターネット以後に生まれた職業なので、まだ概念が定着していなかったりして、既存のヒエラルキーの中だと中間管理職になってしまいます。現代のものづくりを支える存在として、いまある概念を変えて、報酬も変えて、価値を最大化していきたい。

最終的には「世界テクニカルディレクター協会」のようなものを作りたいと思っています。

能力を重ねがけしていくとワンアンドオンリーになれる

–ここからはグラスホッパー=イノベーターである清水さん個人にフォーカスしていきます。現在、社会における「自分の価値」をどのように考えていますか?

清水:まず「洗脳されていない」ところでしょうか?新卒で会社に入っていなかったり、広告業界に入るのが遅かったり、突然海外に飛び出したり、自由に世界を捉える練習はしてきています。もちろん損することもありますが、ピュアでいられますし、自分の言葉として色々とフラットに言えることが価値かと考えています。

また、私自身の特性としてはコミュニケーションや理屈をこねるのが得意で、そこにプラスしてプログラミングスキルがあります。コミュニケーション+プログラミングで価値を作るという「合わせ技」を行っています。いまでは海外に住んでいて「英語でコミュニケーションできる日本人テクニカルディレクター」となっている。一つひとつは大したことがなくても、複数の技を横断して、能力を重ねがけしていくとワンアンドオンリーになれるんですよね。

–固定観念に囚われず突破した事例、参考となるエピソードを教えてください。

清水:最近では、2年ほど前に塩谷舞さんやPARTYのメンバーと「DemoDay.Tokyo」を行ったことです。スタートアップもアーティストも含めて 、デジタルに囚われず、面白いものを作っている方々が作品を発表するものだったのですが、そのコンセプトが「締切を作る」だったんです。

当時のPARTYとしても自社開発プロジェクトを行っていたのですが、そのような自主プロジェクトは締切がないと、かえってスムーズに進まない。個人で作っているクリエイターなら、なおのことでしょう。そこで「社会的意義があるイベントまでに完成を目指す」という座組みを作ったんです。目標があることでクオリティの高いものが締切までにできたのはもちろん、その後の人的ネットワークも豊かに広がっていく現象が作れました。

「ものづくりは愚直に行うものだ」という固定観念がありますが、そうすると短時間で面白いものが作れない。なので、先に発表の場を作りそこを目指すという形に視線をシフトしたら、実際に、ものづくりのクオリティが良くなって、さらにそれが癖になって文化になっていく。モノづくりにこだわらずに、イベントという場所を作ったら、結果として面白いモノが作れたというのが固定観念を突破できた事例かなと思っています。

驚きを感じるものよりも、筋が通っているものに愛を感じる

–「失敗」の定義について。清水さんはどの程度の失敗まで許せますか?

清水:漫画「宇宙兄弟」なんかにも書いてありますが、本気で取り組んだ失敗には価値があると考えています。真面目にやっていればその中での紆余曲折は失敗にならないと思います。

失敗よりも、「許せない成功」はあります。人の功績にタダ乗りして得た成功や嘘の上に成り立っている成功はかっこ悪いですし、自分としては許せないと思っています。なので、失敗を気にするのではなく、成功の仕方に注意を払っています。

–ビジネスモデル/企画を作る時にはどのように作り始めますか?

清水:私は直感的には何かを思いつかないタイプです。トイレなど、日常生活の中でアイデアが閃く方とかもいらっしゃいますが、私は何かをしながら考えることができません。トイレに行くときはトイレに集中し、風呂に入るときは風呂に集中する。なので、企画を考えるときには「企画を考えるぞ!」と集中して考えます。なので、とっさにビッグアイデアを思いつき、そこに帳尻を合わせていくようなことはできません。

先程のDemoDay.Tokyoを例にとると、自社プロジェクトがなかなか進まないので、締切を作ろうというところからスタートし、締切もキラキラしている方がみんな楽しいからイベントにしよう、というような順番です。

驚きを感じるものよりも、筋が通っているものに愛を感じます。

–現在の清水さんの立場があるのはどなたの影響が大きいですか?どのようにして今の立場を作ってきましたか?

清水:私がぽっと出で制作会社に入った時、つまりこういうデジタルのものづくりの業界で働き始めた頃にお世話になった、システム部署の方々(現:S2ファクトリー株式会社)です。オープンソースのOSなどを作っているレベルの高いすごい職人たちがコツコツと仕事をしてらっしゃる姿を見て、この人たちが楽しめるような仕事をどうしたら作れるだろうか?と、クライアントワークを職人のモチベーションを高める仕事に変換したいという動機からテクニカルディレクターとしての職能が芽生えていったと思っています。

彼らが「清水がいつも楽しい仕事を持ってきてくれるからねー」と喜んでくれるように、また、職人さんたちが割を食わない、搾取されないように注意しながら仕事をしていたことが現在につながっていると思います。「価値の変換作業」ができるようになったのは彼らの存在が大きいです。

–今後の野望を教えてください。

清水:日本の若い世代のテクニカルディレクターやエンジニアが、日本はもちろんアメリカや中国でも活躍できるような道を作りたいと思っています。高齢化社会ですしオリンピックを過ぎると日本の仕事も少なくなるであろう中で、若手が日本だけではなく世界に挑戦できるような仕組みをBASSDRUMも絡めて作っていきたいと考えています。

また、先ほどもお話しした通り、テクニカルディレクターを医者や弁護士のような価値を持つ職業にしていきたいと考えています。医者が多い世の中って、良い世の中ですよね。みんなが健康で、お互いを気遣える世の中なので。テクニカルディレクターが多い世の中も良い世の中なのです。なぜならば良いものづくりが増えて人々が豊かに暮らせるからです。BASSDRUMを通して、そのような世界を作っていきたいと思っています。

text:西村真里子
edit:市來孝人