イノベーションは“感性”を理解できるのか?テクノロジーと人間探索のこれから

2019.08.19

この4月、「手触り・触感の官能検査及び物理特性との関係・測定デモ」セミナーが開催された(主催:株式会社テックデザイン)。実は、このような手触り・触感など“感性”を数値化する試みは、既に車や化粧品、アパレルメーカーなど各社で積極的に行われている。

これから訪れる5G時代、人の感性を対象とする領域は、常時大量接続による分析データの増大とテクノロジーの発展で飛躍的に解明が進むと予想される。時代の境目にある今、本記事では感性研究とイノベーションでの活用事例を概観する。

感性研究の起源とは?

「人間がどう感じているか」を研究する試みは、比較的歴史が短い。それを指し示す「感性」という言葉は1986年、マツダ社長がミシガン大学の特別講義で使用したのが始まりといわれ、英語でもKanseiと呼ばれる。つまり、感性工学に代表されるこの研究分野は、日本が発祥の学問だ。実は触感を数値化するための機械も、KES(Kawabata Evaluation System)と呼ばれる、日本で開発されたものが主流となっている。

一般的な情報である知識情報(客観性や普遍性、再現性を持つ)とは違い、感性情報は主観的で多義的、そして状況依存的である。感性の中でも最も人々の関心を集めてきた快適性という部分においても、消極的快適性と積極的快適性という2つが存在する。前者は不快の除去という方向性のため合意が得られやすく、人工的に作り出すことができる。しかし後者は個人やその時の状況により変化するため、万人に共通する積極的快適性は存在しないといわれている。

この時の人間の快・不快には熱や光、力学刺激などの感覚刺激と、それらを受けて起こる意味刺激の2つが関係している。例えば、感覚刺激からくる“快”はふかふかの椅子に座ることであり、意味刺激からくる“快”は美しいフォルムの椅子に座ることである。

人間の感性を把握するためには、官能検査をはじめとする調査による方法と、生体信号を活用した手法がある。今までは官能検査が主流となっていたが、昨今少しずつ生体信号の活用も進んできている。そこで、生体信号を活用したイノベーションを、スタートアップ事例をもとにいくつか調べてみた。

人間探索イノベーションのいろいろ

例えば音声に着目したのは、日本政府が応援するスタートアッププログラムJ-Startupにも選抜されている「Empath」。彼らは音声感情解析AIを開発し、音声の物理的特徴量を解析することでリアルタイムに喜び、平常、怒り、悲しみの4つの感情と元気度の測定を行う。さらにこのAIは音声の物理的特徴量を解析対象としているため、言語に依存しないという特徴を持つ。

EmpathはNTTドコモと共同で、雑音環境での音声感情認識技術を開発した。運転中のドライバーの感情を読みとり、自動車への愛着を高めたり、居眠り運転の防止をしたりするサービスである。2017年11月から翌3月に行われた実験では、「怒り」「喜び」「悲しみ」の感情の判別精度を、従来の60%程度から業界最高水準の75%まで高めることが可能であると実証した。また、感情に寄り添った声掛けにより、倦怠感指標値は50%減少し、93%の人は気持ちに寄り添った声掛けにより気分よく運転できたと回答した。

一方で心拍から感性を把握しようという試みもある。例えば「LIGHTWAVE」は、心拍、動き、体温を測れるリストバンドを開発しており、そこから感情の動きを可視化するサービスを提供している。

このサービスを使って行われた興味深い事例が、ヒラリー・クリントンのスピーチ中の、聴衆のエンゲージメントを測るというものである。このセンサーは1秒あたり10回の分析を行っており、この事例では1時間の間に合計1440万回という膨大な回数の分析が行われた。この分析を通じて、中立層では50%を超えるエンゲージメントが確認されたのに対し、不支持者層はエンゲージメントが4.3%にとどまることが可視化された。また、男性よりも圧倒的に女性からのエンゲージメントが高いことなども確認されたという。

最も一般的にイメージされやすい感性に関連する生体信号は脳波であろう。ライブラリやアルゴリズムによって多少評価は異なってくるが、一般に脳波からはリラックス、集中、嗜好などの感性を読み取ることが可能である。これを活用したスタートアップは数多くあるが、大阪大学発ベンチャー「PGV」では脳波計とは一線を画した、脳波パッチを開発している。額に張り付けるだけという、今までの脳波計よりも簡易かつ安価に使用できるパッチ方式は脳波の活用可能性を大きく広げていくだろう。

また、少し人間の感性の測定からは離れるが、番外編として「ユーザーが感情をコントロールする助けになる」というプロダクトもご紹介したい。それがロンドン大学発のスタートアップが開発した「doppel」である。

これまでに紹介してきたものは、その時々の感性により発せられる信号を読み取るというものだったが、「doppel」はその逆を目指している。手首の内側で振動するだけのシンプルなウェアラブルデバイスが、心拍よりゆっくりと振動することでリラックス効果を、心拍より速く振動することで集中力を高める効果をユーザーにもたらす。感情がテクノロジーによってどんどん読み解かれようとしている中、「あくまで主語は人間に置き、テクノロジーはその補助をする」という新しい潮流になりうるのではないか。

定量化の限界?

生体信号から感情を読み取る試みを体験したことがある方ならば、「そんなこと思ってない」と一度は感じたことがあるのではないだろうか。実は、これまでに紹介してきた脳波や心拍といった生体信号で測れるのは「情動」と呼ばれるものであり、厳密には人間の「感情」とは異なる。

情動は私たち人間が意識をすることのない(できない)、無意識の領域で感じていることである。一方で私たちの感情というものは、自身が脳内で意識的に感じているものである。何らかの刺激によって生み出された、生体信号によって観察可能な情動は、意識に上ってラベリングをされることで初めて我々が感じている感情となる。無意識下で感じたものは、そのまま感情として表出されず無意識にとどまってしまうことも多々ある。結果、テクノロジーで検知された“感情”(=情動)に対して納得感が得られないという現象が起こってしまう。ここに人間探索イノベーションのひとつの限界がある。

人間探索イノベーションのよりよい使い方とは

それでは、これらのテクノロジーはどのように活用されていくべきなのだろうか。他とは一線を画した生体信号の活用方法として、ゲームでの活用事例を紹介する。

ゲームスタジオのFlying Molluskは、「NEVERMIND」というバイオフィードバックを活用するVRゲームを開発した。このゲームでは心拍センサーとウェブカメラを活用、心拍と表情の両側からプレイヤーの感情をトラッキングする。表情から感情を読み取る試みも数多く行われており、このゲームではMITの研究室から立ち上がったスタートアップ「Affectiva」の技術が使われている。感情における7つの基準と表情に関する21の基準をもとに、フェイストラッキングを行いながら感情を推定する。

「NEVERMIND」は精神科医となったプレイヤーがトラウマを持った患者のその原因を探すというもので、かなりのホラー要素が入ったゲームだ。プレイ中、無意識下での恐怖や焦りといった感情がプレイヤーから検出されるとゲーム内容に反映され、ゲームがすこし難しくなる。「ああ自分は無意識下では恐れているのか」という気づきとともに、感情をコントロールしようとする試みや、自分の無意識と対峙するような没入感へとつながる。自分の感情を理解するためではなく、自分が感じるかもしれなかった無意識下の感情の揺れと向き合っていく、という機能を付与することで新しいゲーム性を生み、ひいては新たな人間とこの分野の技術との関係性を生んでいるのではないか。

技術的なイノベーションだけで、今以上に人間探索を進めていくには限界があるのかもしれない。記録や調査を超え、人間に寄り添った、かつイノベーティブなテクノロジーの使い方を模索していくことで初めて、テクノロジーによる人間探索の試みはその第一歩を踏み出すことができるのだろう。

Report:若杉茜